フジテレビの音楽番組でSMAPだけ歌唱映像を流さなかったのは何故?
メモとして書き残します。
メディアの記事にならないかもしれないから。
10/5 に放送されたフジテレビの『ミュージックジェネレーション』でSMAPの映像が流れませんでした。
番組の内容は以下の通りです。
令和、平成、昭和の3世代それぞれの定番ソングを貴重映像とともに発表する『これが定番!世代別ベストソング ミュージックジェネレーション』。
平成の一位としてSMAPの『世界に一つだけの花』がランクインしましたが、CDのジャケット静止画のみで映像が流れませんでした。他のジャニーズの映像は流れたのに、SMAPだけ流れませんでした。
最近ではSMAPの映像は民放でも少しずつ流れるようになってきました。
(解散後はまるで痕跡を消すようにSMAPの映像が流れない不自然な状況が民放各局で続きました)
今になってなぜ、SMAP映像を消す必要があるのでしょうか?
香取慎吾が映像として出ているため、辞めジャニを干すタイプの忖度とは考えにくいです。
恐らく映像の許可が下りなかったんだと思います。勿論ジャニーズ事務所から。
元々SMAPはジャニーズ事務所からはハブ扱いされたグループなのでSMAPがハブられてるのは慣れているのですが、
今の状況(ジャニーズ事務所創業者による性虐待問題)で映像を渡さないっていうのはどういう理屈なのかわかりません。
ブコメだけじゃ足りないから書いた
上記を読んで
呪術のネタ元と違って拝借先がマイナーだから怒られずに済んでいる。
が事実誤認では?と思ったから以下のブコメを書いた。
デザイン盗作・「ルックバック」の藤本タツキは天才ではない。あるいは少年ジャンプの才能枯渇問題 - フロイドの狂気日記
藤本タツキは「 チェンソーマンは「邪悪なフリクリ」「ポップなアバラ」を目指して描いています!」って公言してるから炎上しないんだよ。参照元をマイナーで知らないからじゃなくみんな知ってるから炎上しないの
2021/07/20 16:40
というのもパクリだなんだ騒ぐ割に批判対象のことをちっとも調べてないんだな。と思って。それとも思い至らなかっただけだろうか?
私は藤本タツキのことは好きだし凄いと思ったけど、少なくとも『ルックバック』という作品に関しては天才だとは思ってない。天才性よりも贅沢さを感じたので。連載時に感じたメリハリをつけるための尺の省き方をやめるとこうなるんだなあと。コマ割りの大きさ。それも背景を見せる作品だからなのだろうが。
台詞での説明を極力省く、背景をメインで書く。こういう想像して、どれだけそれを徹底できるだろうか。143ページ書くことができるだろうか?
話の大まかなあらすじもよくある話だ。143ページを持たせる内容ではない。
人生を共にしたい相棒を得て、それを不慮の事故で失い、相棒が残した思いを以て立ち上がる。
省略の有効性を知ってる藤本タツキであれば、連載作品であれば、もっと短くまとめられるはずのものを背景の為に長く書いている。でも長さによる重さを感じさせない。 そこには藤本タツキが得た漫画技術の粋が詰められており、そういう意味で贅沢で丁寧で作品だ。ルックバックのことは語りたいが、主題ではないので、おいておく。
さて、前置きが長くなったが、以下の指摘はやはりうーんとなってしまう。
このデザインだって服の色を変える、ジャケットの丈を短くする、帽子のデザインを変えるとか少しでも違ったものにしようとする努力はできたはずだ(カッコいいかどうかは知らん)ここまでパクっておいてリスペクトですはないだろうよ。
オマージュってわかるように描かないとと元ネタが分からないから、極力残すのよ。分かるようにデザインをあまり変更していないの。
違った方向に変えたら元ネタにたどり着けなくなるの。それじゃ本当に誰にも分らないから盗んだっていいやになっちゃうわけ。
そんで、割とそのまま持ってきても作品世界は壊れていない。もっと言うと色んな世界からもらってきたもので構築したチェンソーマンの世界は壊れていないわけ。カラーが全く異なるものから持ってきても成立するように構成しているわけ。元ネタを知らなくても違和感なく物語に没入できるし、元ネタ知ってる人がいればにやにやできるし、リスペクト元を言ってるから、リスペクト元を残しているから、読者は気づきやすく、リスペクト元の物語にもたどり着きやすい。
そこら辺の構成の妙や努力を無視して、ただパクったアイディア収奪だ!だから大したことない!っていうのは強引だし。
そもそもそのデザインが好きで仕方ないのに、自分の努力演出の為に好きなデザインを曲げるか?っていう話もあり。まあどういうつもりで持ち出したのかは私は知らんけども。盗むんだったら、奪うんだったら、もっとわからなくするよ普通。
ましてや、「自分の好きな作品を詰め込んでできている」なんて公言はしないんですよ。
奪うっていうのはその人の元から無くなるってことでしょ?残ってるじゃん、はっきりと。あなたが元にネタにたどり着いたように、デザインがさ。
大体藤本タツキがデザイン性が優れてるから天才と言われているか?そうじゃないよね。パクったところを称賛されているわけではないから本来受けるべきだった賞賛を盗んだっていうわけでもない。
基本的に元ネタは言わないより、公言したほうがいいと思ってます。その方が元ネタへアクセスしやすいからね。
まあ隠してるか隠していないかどっちが悪いのかとかそういう以前に、昨今物語を作ることに置いて、0→1オリジナリティなんてものは存在しないと思った方がいいと思う。みんな何かの影響受けてるし、いいものはパクッてる。ほぼ全ての創作がそう。AKIRAパクッてるのなんて数えきれないでしょ。死んだものならいいけど~って大友克洋氏は生きてるよね。パクリがない作品をよみたい!っていったら漫画読めなくなるよ。
結局それって批判を回避したい、オマージュはやめない、元ネタになれるほどオリジナリティは持ってない、でも作品をだして出版社も本人も儲けたいという欲望の発露ではないか。
既に藤本タツキフォロワーっぽい読み切りとか出ている段階でそれを言うか?ただの言いがかりだよもう。
書くたびに論が荒くなってきてるから、一回始めから自分の書いたところを読み直した方がいいと思います。
人はどれだけ自分の醜さを見せられるのか
私はなろう小説を読んだことがない。読書は好きだった*1が、なろう小説の文体やタイトルの付け方がどうも好きではなく1ページ目で読む気が失せてしまう。
だが小説は書いている。中学生の頃から書いてはいたが、連続してずっと書いているというわけではなく、大学時代に書いたり、最近よく書くよう*2になった。どこかに投稿しようと思って色々な投稿サイトを前から調べているのだが、小説かになろうの激戦ぷりはそこで知った。
一日三千字をコンスタントにあげることができる人はどれだけいるだろう?十万字を一つの作品としてまとめ上げることができる人がどれだけいるだろう。
少なくても私にはできない。仕事があるとかそういう問題じゃなく、できないのだ。私にはその力ない。毎日書いて、推敲して、投稿するということができない。毎日書かなくても、ストックを十万字作るというのもできなくはないだろうが、とても時間がかかってしまうし、難しい。今少しずつ長編を書いているが、それを完結させるのはいつになることやら。4か月かかってようやく一万五千字程度だ。これだって完結できるのかはわからない。長く書けば書くほど、後半になっていくほどにまとめ上げるのに難しくなっていくからだ。
小説家になろうという投稿サイトはそれができる人間が集っているサイトだ。その文章の出来がどうという話ではなく、事実として出来る人が揃っている。
そういう中で書籍化された作家もいる。前置きが長くなったが紹介したいのは書籍化されてプロになった人のなろうで連載されているエッセイである。
https://ncode.syosetu.com/n6611fn/
一応、本人の作品も貼っておく。
これに意味があるかはわからない。印税もどうなってるか知らないし、もしかしたらなろうの小説リンクを貼った方がいいのかもしれない
私はこの小説を読んだことがないから逆に失礼になってしまうかもしれない。
だけど、エッセイを読むと宣伝くらいはしたくなる。
このエッセイは初めて自分の小説が書籍化されて、そしてその後打ち切りになった作家の感情が赤裸々に描かれている。
商業デビューしたというプライドとそのあと人生の上手くいかなさ。人への嫉妬と憎しみと自責の感情が書き連ねてる。読んでいて胸が苦しい。
人がもつ弱さの感情だけど、その醜さを惜しみなく書いてて、小説を書くことで生まれること感情だけど、それ以外をもっていないから書くしかないという心情がこれでもかという書かれている。
全部を読んだわけじゃないけれど、苦しくても諦められなくて、書き続けるというのをずっとやっていて。4話くらいで結構きつくて、涙が出てしまった。
これは上から目線の同情なのか、自分の中にある醜い感情を再起させるからなのかわからないけど、ただ読んでてひたすら苦しかった。
何かの創り手は、天才と呼ばれる人はわからないけど、こういうプライドや嫉妬や憎しみは少しは抱いたことがあるんじゃないだろうか。そして人に嫌われたくないために、飲み込んだりしないだろうか。
このエッセイは正直で赤裸々だ。直視しがたいほどに。
このエッセイに書かれる著者は承認欲求にあふれ、虚栄心に満ち、愚かだ。
しかし、このエッセイを書く姿勢が正直で真っすぐだった。
今の時代誰しもが品行方正を求められ、外れた人は総叩きされる時代である。
自らの愚かさを直視し、ここまで書くことができる人がいるだろうか。
自分の愚かさを直視することはむずかしい。私は今でもできない。愚かなところは沢山ある。だがこのようには書けない。嘘は書くことはないだろうが、隠して見せないようにして、それなりに見られるようにする。
著者の感情の奔流にのまれ、自分にはできないことに、その勇気に素晴らしいと思って紹介する。
読んでて楽しいものではない。勧められるものではない。だが、生きた人、生きている人がそこにいるので、読んでみてほしい。
救いか絶望か、エッセイに書かれるのは、自分の愚かさだけではない、たった一人著者を認めてくれる木島先生という人物が出てくる。そこで書かれる著者の慕う心が愛おしい。
最新話の「もういちど木島先生に会いたい」読んで涙が出た。
勝手ながらその心を大事に、大切にして、投げやりにならずに生きてほしいと、願った。
愚かな善人気取りの独り言である。
ヒカキンとセイキンのハンドスピナー動画を時系列でまとめてみた
最近新しい地図のお陰(せいともいう)でYoutubeをみることが増えました。
ヒカキンとかセイキンとかの動画を見てます。彼らに対する感想とか視聴スタンスはまた別に語ろうかと思いますが、
ハンドスピナーってヒカキン&セイキンが流行らせたって全然知らなかったんですよ私。ブームもとっくの昔終わってから知るっていうね。名前だけ知っててハンドスピナーもよく知らないし、ついでだからどういうものか見てみようかって動画を検索すると、彼ら結構ハンドスピナー動画上げてるんですね。
ハンドスピナー関連の動画がどこから始まったのか全然分からない。セイキンきっかけ?ヒカキンきっかけ??ハンドスピナーで検索して『民族と水道が合体した~』ってタイトルが見えたりするんですが、民族って何?水道って何よ!!!ていうかそもそもハンドスピナーってなんなんのよ!!!!
というわけでヒカキンとセイキンのハンドスピナー動画を時系列に並べてみました。
もう見直すことはないだろうけど、もし私のようにあとからハンドスピナーって何?日本ではどっからブーム起きたの?みたいなこと知りたい人向けの記事です(ターゲット狭い)
ヒカキンとセイキンの全てのハンドスピナー動画をまとめてるわけではないので、ご了承ください。
全てはここから始まった
セイキンのハンドスピナー紹介動画です。私は最初にこれが見たかったんですが、youtubeは探しにくい。しかしこれを見ても何のために回すのかはよくわかりませんが、手動でいっぱい回るのが面白いということを理解しました。
「民族」の謎がわかる
ハンドスピナーを触ったことがないヒカキンが、ハンドスピナーでセイキンとバトルするという動画。彼らの動画は大人が視聴してすごく面白いとは言い難いのだが、勝負の展開は意外性*1もあり、正直面白かった。そして明らかになる民族の正体!!
ここでよく回ってるほうが強いというハンドスピナーバトルのルールが出来上がる
水道きたーーーーー!!!
2動画みてようやくハンドスピナーと民族とハンドスピナーバトルの概要が分かるので、これ以降は時系列を追わなくてもよさそうです。私の抱えていた民族と水道の謎は解けました。。
ようやく見れるぜ!
ようやく私のハンドスピナーの旅を終えることができました。あとは適当に見てけばいいと思いますセイキンは「
これが真の民族です。
*1:セイキンの動画を視聴していると尚更